分限帳調査の注意点③

武士なのに分限帳に名前が記録されていないというケースとして、明治維新前後の改名や下級武士だった場合について述べましたが、さらに陪臣だったという可能性も考えられます。

陪臣とは、藩士の家来です。
藩主から見ると、自分の家来の家来という立場ですので、又家来や又者ともいいます。

藩士が私的に雇っている家来に過ぎませんので、正式な藩士とはなりません。陪臣にとっての主とは、藩主ではなく、あくまでも自分を雇っている藩士であるわけです。

以上のような立場ですので、藩士名簿である分限帳に記載されることがありません。

それでは、このような陪臣はどのように調べれば良いのか? 分限帳のような整った名簿はないのか?

原則として、藩が主体的に名簿を作成することはないと思います。少なくとも私は知りません。

ただし、藩は藩士がどのような家来を抱えているのかを知る必要があり、藩士に家来の名簿を提出させることはあったようです。また、当然ながら藩士自身が自らの家来名簿を整えることはありましたので、それが残されていることもあります。

たとえば、当事務所の所在地を治めていた福岡藩では、『附属名書上』という史料があります。これは、高禄の家臣である立花氏や大音氏・斉藤氏などの家来帳であり、下記に示す画像のように、氏名・作成当時の年齢・家禄が記録されています。また、この画像にはありませんが、居住地を記入しているものもあります。

画像の説明

結局、このように藩士毎の家来帳をひとつずつ調べていくしかないように思うのですが、残念ながらそのような史料が少ないため、先祖が陪臣だった場合の調査は難しいものと思われます。

歴史の旅社では、独自に陪臣帳のようなものを作るべく、時間を作ってはコツコツと陪臣の情報を収集しています。

(記:平成30年6月26日)

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