島流しになった囚人の生活

「遠島を申付ける!」というお裁きを受けて流罪に処せられた囚人は、島でどのように生活をしているのか?

福岡藩の流罪人の生活について書かれた本がありましたので、ちょっとご紹介します。

流罪人は、刑の軽重によって島での処遇が異なります。
重罪人は、遠島牢居が申付けられて牢屋入りとなり、軽罪者は配所の掘立小屋に収容されます。重罪人は自由を奪われてしまいますが、軽罪者は島内全域ではなくとも比較的自由に行動が出来るわけです。

ところで、彼らはどうやって食べていたのか?

まず、武士や他国からの旅人、宗旨改帳から除かれた者(つまりどこの町・村の所属でもない者)などは、藩から米が支給されました。これを“公儀飯”(こうぎめし)と呼びます。

これに対し、藩内の一般領民は、出身地の町や村の負担で米が支給されていました。また、商家や豪農などの奉公人は、その主人の個人負担とされており、これらを“嶋扶持”(しまぶち)と呼んでいました。

但し、嶋扶持は、元文2年(1737)に改正され、町や村などの溜銀からの支給となっています。

それでは、どの程度の支給があったかというと、ある程度以上の武士(直礼・半礼以上)は、一日に米一升が支給され、それ以下の下級武士(無礼)や旅人・一般領民などは、一日四合とされていました。

流刑地であっても、身分によって差が大きくありますが、とにかく島流しになったといっても、最低限の食生活は保障されていたということです。

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