江藤新平の人相書

旧三瀦県(福岡県筑後地方)の明治期の記録を調べていたところ、「佐賀県暴動征韓党・憂国党人相書」という文書を見つけました。

佐賀の乱での征韓党及び憂国党の首謀者達の手配書です。
征韓党では、江藤新平・香月経五郎・山田平蔵・徳久幸次郎の4名。憂国党では、島団右衛門・石井竹之助・副島謙助・重松基右衛門・朝倉弾蔵・中島鼎蔵・山中一郎の7名の計11名が挙げられています。(ここに憂国党として挙げられている石井・朝倉・中島・山中は征韓党のはずで、この時期はまだ情報が入り乱れていたのかも。)

たとえば江藤新平の場合、次のように書かれています。

佐賀県士族 江藤新平
右人相
一 年齢四十一歳
一 丈高ク肉肥タル方
一 顔面長頬骨高キ方  
一 眉濃ク長キ方
一 眼太ク眥長キ方   
一 額広キ方
一 鼻常体       
一 口並体
一 色浅黒キ方     
一 右頬ニ黒子アリ
一 言舌太ク高キ方   
一 其体常体

江藤の実際の写真と比べてみると、この人相書の表現が結構的を得たものであると思われます。

明治5年に犯罪逃亡者の手配に写真が用いられるようになったばかりですので、まだまだ人相書だけの時代の表現力が保たれているのでしょう。

ちなみに、江藤は高知県の甲浦で捕縛されますが、そのきっかけになったのが江藤自身が制定した手配写真制度です。制定者本人が被適用者第1号となったというのは、実に皮肉なものですね。

(記:平成23年1月16日)

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