佐賀市にて

1泊2日で佐賀市の「江戸前期調査」に来ています。

佐賀市へは先月も来ましたが、聞き取り調査の途中に膝の靭帯を損傷して調査を中断せざるを得なくなり、今回はその続きです。

なかなか苦戦をしている調査で、現地調査はもう何度目か? あまり数えたくないほどです。まだ膝は完治していませんが、そうも言っていられません。

佐賀市内に宿泊する際は、たいてい佐賀駅前にあるホテルに宿泊します。
ここはいつも中国からと思われる宿泊客が多いのですが、さすがに今日はあまり見かけません。このような時期ですので、あまり人の多いところは避けて宿泊せずに日帰りしようかと迷っていましたが、結局泊まることにしました。

画像の説明

ところで、明治初期の行政文書を調べていた時、佐賀の乱の裁判記録を見つけました。調査とは関係ないことなのですが、ついつい読み込んでしまいました。

記録の冒頭は、憂国党の党首島義勇(東京府貫族士族)で、判決の内容は、
「除族ノ上梟示申付ル」と書かれており、その横に江藤新平(佐賀県貫族士族)の氏名があり、「右同文」とだけ書かれています。

史上、江藤の方が著名ではありますが、判決記録では「右同文」なのですね。少々意外な感がありました。