佐賀市での「江戸前期調査」2日目

佐賀市内での「江戸前期調査」2日目。
当初の予想を遥かに超えて苦戦をしている案件です。このブログでは、いつも良いことばかり書くのではなく、このようになかなか進まない件についても触れなければなりません。

現在の最大の課題は、現時点で分かっている享保12年(1727)出生のご先祖様がおそらく1700年代中期に他地域から移住されたことにあります。

現在のような戸籍制度がない江戸期に移住が発生している案件は、調査を困難にする要因の最大のものです。

これを解決する手段のひとつとして、旧居住村と新居住村の間でやりとりをした文書があります。現在の転出届と転入届のようなものです。

画像の説明

このような文書は、庄屋家に保存されていたものが多いのですが、明治以降にその庄屋家から離れ、現在は図書館や資料館・教育委員会・公民館・大学などの各施設に所蔵されているケースも少なくありません。また、庄屋を務めた家にそのまま残されていることもあります。

これまで思いつく限りの施設に於いて調べて参りましたが、現時点で見つけられていません。

そこで、庄屋を務めていた家に残されている可能性を考え、旧庄屋家を探しているところなのですが、これがなぜか分かりません。

一般的に旧庄屋の家は比較的容易に特定出来るもので、庄屋家を見つけることより、古文書の閲覧許可を頂くことのほうが難しいのです。ところが、今回は簡単なはずの庄屋家の特定が難航しています。

この件については、地元の住民の方々を始め、当該地区にある寺院や公民館・郷土史会の会員の方々・図書館や各資料館等や市の学芸員の方々など、あらゆるところで聞き取りを行いましたが、誰もご存じではありません。

特に、江戸期から引き続き住んでおられる家が大半を占める古い集落に於いて、住民の方々がどなたも庄屋の家を知らないということが全く不思議なことであり、私にとっては前代未聞のことです。

そもそも、庄屋家が分かったからといって、そこに古文書が残されているという可能性は大きいものではなく、仮に古文書が残されていたとしても、その中に目的とする史料が含まれている可能性に至ってはさらに小さいものです。

それでもやはり、可能性が僅かでもやらなければならない。これが先祖調査の厳しいところではあります。