徴兵人名簿

福岡県内の「基本調査」ですが、最も古い除籍謄本が明治33年生まれの方を戸主とするものまでしか取得出来ていません。幕末から明治初期にかけて、ご当主が2代続けて短命だったことがその理由と考えられます。

その戸主の続柄欄に亡父の名前だけの情報はありますが、長男が明治33年出生の父ですので、せいぜい明治初年の生まれの方でしょう。

本籍地の村の旧庄屋家は分かっているのですが、その家に伝わった古文書は明治の大火で焼失してしまったとのことで、菩提寺の過去帳でさえも同じ大火で焼失しています。さらに、古い墓も処分されて納骨堂を利用されています。

また、明治中期以前までは土地所有されていなかったようで、旧土地台帳や明治8年に作成された地所取調帳にもご先祖様の名前がありません。

このように、先祖調査に必要な条件がことごとく失われ、かなり困難な状況だったのですが、一つの史料によってようやく突破口を開くことが出来ました。

その史料が「徴兵人名簿」です。

この史料は、明治6年1月に発せられた徴兵令に対応して作成されたもので、徴兵適齢の満20歳になった男子とその戸主の氏名・生年月日・戸主との続柄(普通は父親)、その家の族籍(士族や平民など)・住所・職業などが記載されています。

この結果、除籍謄本で続柄欄に名前しか書かれていなかった方の生年月日が分かるとともに、その父の名前・生年月日・族籍・職業までが判明しました。

新たに判明した父の出生が文政10年(1827)であり、基本調査の目標までもう少しといったところです。

ちなみに、この「徴兵人名簿」は、地域によって名称が異なります。